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大阪地方裁判所 昭和54年(わ)1080号 判決

本籍

大阪府堺市高倉台三丁一八番

住居

同市高倉台三丁一八番二号

医師

村田政勇

昭和四年八月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、当裁判所は、検察官鞍元健伸出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

一、被告人を懲役一年及び罰金二一〇〇万円に処する。

一、右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

一、この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

一、訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、大阪府堺市大野芝町二九二番地において、南堺病院の名称で医業を営んでいるものであるが、自己の所得税を免れようと企て、自由診療収入の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和五〇年分の実際総所得金額が一億一八六六万九三一二円(別紙(一)修正貸借対照表参照)あったのにかかわらず、同五一年三月一五日、同市南瓦町二番二〇号所在の所轄堺税務署において、同税務署長に対し、同五〇年分の総所得金額が一三八三万九二三二円で、これに対する所得税額は三八三万九〇〇〇円であるが、源泉徴収税額が一五〇八万五二一一円であったので差引き納税額はなく還付を受ける税額が一一二四万六二一一円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額五八五六万二七〇〇円と右還付税額の合計額である所得税額六九八〇万八九〇〇円(別紙(二)税額計算書参照)を免れたものである。

(証拠の標目)

一、被告人の当公判廷における供述

一、被告人の検察官に対する供述調書三通

一、収税官吏の被告人に対する質問てん末書二三通

一、証人村田弘子、同村田幸、同寺岸庸光、同江頭傳之、同丸尾眞一、同寺口健夫、同豊田三枝、同天野文雄、同中谷澄子、同永田宗次郎、同水越隆義の当公判廷における各供述

一、公判調書中の証人加藤俊雄(第一一回ないし第一五回)、同加藤幸雄(第一六、一七回)、同池田基一郎(第一八回ないし第二〇回)、同岡本弘子(第二一回)の各供述記載部分

一、村田弘子、西峯幸の検察官に対する供述調書

一、収税官吏の村田高秋(二通)、加藤幸雄(三通)、田中章介、阪井誠道、昌蒲孝夫、加藤俊雄(七通)、山野真、山本鶴子、中家良雄に対する各質問てん末書

一、野口進一、高木正太郎(二通)、日本生命保険相互会社料金保全部、第一生命保険相互会社大阪開発部奉仕課、小谷孝、住宅金融公庫大阪支社長、殿垣昭二、木下忠雄、南野英次(二通)、佐藤勲、前田太右衛門、吉田健、伊丹和雄、荒尾滋子、内村雅則、坂本武雄、高橋和弥、羽山、小介川光之、志村建吾、菊野篤彦、八木久文、服部勝美、吉溝徹(二通)、伊早坂幸夫、間英二、高須賀民江、入江義夫、加地高明、槙野省二、澤田俊雄(二通)、村田八郎、山高章夫、東洋信託銀行大阪支店、三和銀行住宅ローンセンター、広島労働基準局労災補償課、岩井重信、末永義秀、高知労働基準局長、新潟県国民健康保険団体連合会、徳島県国民健康保険団体連合会、鬼藤滑右衛門、梶俊幸、岡山県国民健康保険団体連合会、塚本秀郎、宇野知富、松谷好美、池田一之、小島光、株式会社大和銀行金岡支店各作成の捜査関係事項照会回答書

一、中谷憲市、土田宏造(二通)、藤本昭夫、原田明(五通)、坪下幸裕(五通)、加藤忠雄(二通)、子守義朗、中川忠、中村幸弘、大橋英夫、松谷保司、大角忠徳、木下明徳(四通)、石田雄三郎、樋上勉(一通)、河﨑利男、水越隆義各作成の「確認書」と題する書面

一、米田福雄、福田修一、新田裕夫各作成の現金預金有価証券等現在高確認書

一、収税官吏丸尾眞一(六通、証拠等関係カード検察官請求分番号8、17、36、37、166、191、以下番号のみを略記する。)、西岡清ほか一名、米田福雄ほか一名(一二通)各作成の調査報告書

一、収税官吏水野良博作成の差押てん末書

一、被告人作成の五〇年分の所得税の確定申告書謄本

一、押収してある使用済手形帳半片六綴(昭和五四年押第九七九号の一、二)、請求書、領収書関係書類一綴(同押号の三)、賃金台帳一綴(同押号の四)、空封筒三綴(同押号の五)、使用済小切手帳半片(領収証付)三冊(同押号の六)、家計簿四冊(同押号の七)、振込通知書一綴(同押号の八)、メモ二枚(同押号の九)、村田政勇の四九年分の所得税の確定申告書コピー一綴(同押号の一〇)、村田政勇の税務署提出資料コピー一綴(同押号の一一)、借用証書一枚(同押号一二)、昭和50年度元帳三冊(同押号の一四)、保険払込関係書類一綴(同押号の二二)、労災請求控二冊(同押号の二三)、五〇年分入院収入等(現金)伝票一一綴(同押号の二四)、入院患者請求綴(49年分)一綴(同押号の二五)、自動車損害保険賠償額振込通知関係書類一綴(同押号の二六)、当座口振込通知書一綴(同押号の二七)、51・3・10薬品類たな卸関係書類(袋共)一綴(同押号の二八)、昭和五〇年度採用承認簿一冊(同押号の三〇)、給与支給明細書二冊(同押号の三一、三二)、出勤簿一冊(同押号の三三)、銀行関係書類税務署預り分一綴(同押号の三七)、書簡三綴(同押号の三八)、物品並備品購入伺簿及確認簿一綴(同押号の三九)、雑書綴(2F応接室)一綴(同押号の四〇)

一、水口真弓美振出の約束手形二通

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人、被告人らの争う争点についての当裁判所の判断の要旨は、以下のとおりである。

なお、証拠に関し、次の例によることがある。

1、証拠は主要なもののみを挙示し、殊に調査報告書の基となつた前掲各証拠の標目掲記の証拠物、確認書等については繁を避けるため原則として挙示しない。

2、証拠の引用にあたり、単に証拠等関係カード(検察官請求分)の番号(アラビア数字)あるいは押収番号の符号(漢数字)のみで表示する場合がある。

公判調書添付の調査報告書についても同様とする。

3、公判調書の供述記載部分が証拠となるものについても単に「供述」又は「証言」と記述することがある。

第一、財産増減法の適否について、

弁護人は、所得税法は、所得計算につき損益計算法によるのを原則とし、財産増減法は損益法によりえない特別の事情が存する場合にのみ例外的に認められるものであり、本件では損益法による計算が可能であったから財産増減法による主張、立証は違法であると主張する。又、他人資産が被告人の資産に混入しているので、財産増減法によることは許されないと説く。

そこで検討するに、所得計算につき財産増減法と損益計算法の二つの方法の存することは周知のところであるが、両者による所得計算の結果は、理論上は一致するものであり、所得税法上いずれかを原則とすべきものと解すべき合理的理由は存しない。むしろ、これは脱税事件における立証方法の適否の問題であって、いずれの方法によれば実額が正確に把握できるかを比較検討したうえでどちらの方法によるべきかを決するのが相当である。

損益計算法による立証が許容されるためには、損益計算書を作成するに足る会計帳簿の存すること又は会計帳簿の不備を補うに足る他の証拠の存することが不可欠である。しかしながら本件記録によれば被告人の日々の収支を記帳した帳簿類としては元帳三冊(一四)が存するのみで、これは病院事務所を通過した収支を記帳したもので不完全であるばかりでなく、被告人自身が事務所を通さずに処理していた収支については、これを証するに足る帳簿類は存しない。更に昭和四九年分の帳簿類については、村田高秋が既に処分しており全く存しない。

このような帳簿類の不備を補うものとして弁護人は、被告人の供述及び空封筒(五)、使用済手形帳、小切手帳半片(一、二、六)等をあげ、これにより日々の収支の復元が可能であると主張する。しかしながら空封筒の記載自体何時いかなる収入あるいは支出があったかを正確に記載したものでないことは一見して明らかである。被告人の当公判廷における供述は、日々の収支について事細かに供述しているが、その余の事項については曖昧な供述に終始しており、日々の収支についての供述にも変遷が認められ、被告人の捜査段階における供述と対比しても何故に公判段階に至って記憶が鮮明、詳細となったかの合理的説明はなされていず極めて不自然のそしりを免れず到底会計帳簿の不備を補うに足りる信用性の高い供述と解することはできない。

以上の点から考えると、損益計算法の前提となるべき会計帳簿が不備であり、且つこれを補うに足る他の証拠も存しない本件においては、損益計算法によりえないことは明らかである。

次に財産増減法による立証の許容性について検討するに、これが認められるためには期首、期末の資産、負債が正確に把握できること。殊に他人資産の流入、混同が認められないことが不可欠である。後に述べる各勘定科目毎の争点についての判断で明らかなように本件においては、期首、期末の資産、負債の実額の把握において問題とすべき点は存せず、他人資産の混入も認められない。

以上の判示から明らかなように、本件においては財産増減法によるのが適切妥当であり、弁護人の右主張は採用しない。

第二、犯意について

一、検察官は、被告人の指示により自由診療収入から約二四〇〇万円を除外していること、確定申告書謄本(3)中の自由診療収入と弁護人主張の自由診療収入との間には二四〇〇万円を減じてもなお約一〇三七万円の差額が生じ単なる違算とは考えられないこと等を理由に被告人には不正な行為により自己の所得税を免れる故意が存したものと主張する。

これに対し弁護人は自由診療分から約二四〇〇万円除外したことは認めるものの、これは被告人の税務を専ら担当していた加藤俊雄への支出金が表に出ることを嫌った右加藤の指示によるものであり、被告人はこのような方法も税務上許されるものと信じていたこと、右二四〇〇万円は被告人が加藤に昭和五〇年中に支払った一二五〇万円を超えているが、被告人は当時加藤には二〇〇〇万円以上支払ったものと思っており、昭和四九年中に支払った一四四〇万円も昭和四九年度の確定申告書では経費としていないのでこれをも含めた趣旨で計上したものであり、被告人はこのような処理も税法上許容されるものと考えていたこと等を理由に被告人にはほ脱の犯意が存しなかったと主張する。

そこで検討するに、前掲各証拠によれば被告人の指示により昭和五〇年度の確定申告書中の収入金のうち自由診療収入に関して約二四〇〇万円の除外をなしたことが認められる。

収入の一部除外は典型的な不正行為にあたるのであるから被告人がこれに関与したことはとりも直さず被告人に故意の存したことを疑わせるに足るものといってよい。従って被告人の犯意の有無を判断するには被告人の関与の動機、態様、程度等を吟味する必要が生じる。

前掲各証拠によれば、収入の一部除外の動機は加藤俊雄に対する支出金を表に出さずに処理することにあったものと認められるが、具体的な方法としては昭和五一年二月頃、被告人から江頭傳之事務長に対し、「経費がかさんで困っているんだ、自由診療分を何とかできないか、二〇〇〇万円から三〇〇〇万円の範囲内でしてくれ。」と言われ、江頭は元帳の書替えが大変なのでこれに反対したが結局被告人の指示に従い約二四〇〇万円収入を除外して申告し、元帳の書替えには同年六月末頃まで要したことが各々認められる。又、加藤に支出した一二五〇万円については後記事業主貸の加藤俊雄分において検討するように被告人自身昭和五〇年当時税務申告に必要な出費としたものとは到底認められない。換言すれば、被告人も加藤に対する支出が必要経費にあたるものでないことは十分承知していた訳である。

(弁護人主張のように必要経費にあたるものであれば、江頭にこれを隠すことなく経費として計上すれば足り、収入の一部除外という面倒な方法をとる必要は全く存しない。)

被告人の当公判廷における供述によっても昭和五〇年度の加藤に対する支出は二〇〇〇万円以上というにとどまり、収入除外した二四〇〇万円よりは少ない訳であり、被告人も昭和四九年支出分もあわせて昭和五〇年度の申告で処理したいと思ったと述べている。いずれにせよ前年度の支出を当年度の支出として計上することは単年度主義をとる税法上許されないことは明らかであって、被告人の当公判廷の供述を前提としてもやはり不正な方法がとられているといわざるをえない。

又、前掲各証拠によれば被告人は病院事務所で管理している分を除いては、自賠責収入の管理、預金の管理、経費の支払い、資金繰り等の経理面を自から掌握しており、被告人病院の収支についてはかなり通暁していたものと認められ、被告人も昭和五〇年度の所得も五、六千万円はあったと供述しており、前判示の如く、昭和五〇年度の実際総所得金額が一億一八六六万円余の多額に及ぶことから考えても、申告所得額が実際所得額よりかなり低いものであることは被告人も十分承知していたものと認めるのが相当である。

以上の諸点から考えると収入の一部除外は加藤に対する昭和四九年及び五〇年の支出金が必要経費にあたらないところから、これを取り戻す趣旨で行なったものであって、加藤の関与も否定できないが、被告人自から十分承知のうえで行なったものと解するのが相当である。従って、被告人にほ脱の犯意の存したことは明らかである。

二、確定申告書添付の「50年度支出計算書」の違算について

弁護人は、昭和五〇年度所得税確定申告書添付の同年度支出計算書の支出合計額五億五八三万七九二三円には単純な加算の誤りが存し、正しい合計額四億九四八三万六七二三円との差額一一〇〇万円については、被告人にほ脱の犯意が存しない訳であるから本件ほ脱所得金額から控除されるべきであると主張する。その理由として弁護人は、申告書提出日の前々日に被告人、江頭、加藤の三人で申告予定の収入、支出金額を算出し、翌日までに加藤が申告書を作成することとなったこと、収入金額については二四〇〇万円除外したものの支出金額は被告人の支出を正確に表現したものであること、申告当日加藤の指示で被告人が申告書を作成したが、前々日に計算した支出金額と申告書添付の支出金額とが不一致であることに全く気付かず、これに気付いたのは申告後の同年七月頃であること等を指摘する。

過少申告によるほ脱犯が成立するには、売上除外、経費の架空計上等の不正行為を行ない、実際の所得金額よりも過少な所得金額を申告することが必要であるが、ほ脱所得額は実際所得額と申告所得額との差額となることはいうまでもない。しかしながら申告所得額の計算において不正行為とは全く無関係な単純な転記ミスや誤算が存した場合(例えば申告書の作成にあたり税理士事務所の事務員の過誤により誤った数実が記入された場合)においては右誤記、誤算による部分をほ脱所得額から除外するのが相当である。

そこで検討するに本件においてはなるほど弁護人指摘のように昭和五〇年度支出計算書記載の支出合計額と各支出費目の実際の合計額との間には一一〇〇万一二〇〇円の差額が存することが認められる。

しかし他面では、前記認定のように本件の申告においては明らかに収入の一部除外が被告人の指示で行なわれており、経理面は被告人が自から掌握していたこと、申告前日までに被告人の予定する申告収入額、支出額が計算されており、当然申告予定所得額も判明していたと解すべきであり、その数字より一〇〇〇万円以上も低い申告所得金額を被告人が全く看過していたものと解することは不自然であること、元々前判示の実際総所得金額から考えると、申告支出額が実態から遊離していたことは被告人自身十分熟知していたものと解するのが相当であること(このことは現実の金の出入りを被告人が厳重に管理していたことからも裏付けられるところである。)等に鑑みると、誤記、誤算である旨の被告人及び証人江藤の各供述は到底措信できない。

以上の点から明らかなように一一〇〇万円余について単純な誤記、誤算の結果であって犯意が存しない旨の弁護人の右主張は採用しない。

第三、各勘定科目についての争点

一、現金について

検察官は、期首現金は、被告人個人の管理していた手許現金二〇〇万円を含め総額八一五万円であると主張するのに対し、弁護人、被告人は、被告人個人の管理していた手許現金は五〇〇万円であって総額一一一五万円となると主張する。

この点についての証拠は、被告人の捜査段階及び公判廷における供述しか存しないので、右各供述の信用性の判断が問題となる。

被告人個人の管理していた期首手許現金について、捜査段階においては次のように供述している。すなわち、収税官吏の被告人に対する質問てん末書(105)では二〇〇万円と述べており、同人の検察官に対する供述調書(114)においても同旨の供述をしている。更に(105)には被告人作成のメモも添付されている。

これに対し、当公判廷では五〇〇万円と述べているが、具体的には「五〇〇万円と主張する根拠は、はっきりと資料があるということじゃなくて、その当時それくらいは現実に手持現金として持っておったという信念で申し上げているのです。」と供述をしている(第三二回公判)。更に前記メモについても、既に査察官の作成したメモに基づいて作成したものであって、被告人の記憶によるものではないと弁解する。

そこで検討するに、前記の如く手持現金については被告人の供述のほかにはこれを認むべき証拠は存しないのであるから、被告人の供述を抜きにして査察官がメモを作成することは到底考えられず、その記載内容からしても被告人のこの点に関する弁解は措信し難く、右メモは被告人の記憶により作成したものと解するのが相当である。

更に、手持現金を前後の各期と比較すると、被告人が当公判廷で述べるように期首五〇〇万円と解すると異常に高額で他の期に比べ何故このように高額であったかの合理的説明のなされていない点をも考慮すると、被告人の当公判廷での供述は不自然、不合理といわざるをえず俄かには措信し難い。これに比し、被告人の捜査段階における供述は、他期との比較においても合理的であり、十分信用するに足るものと解する。

従って、期首の手許現金は二〇〇万円、現金総額は八一五万円であると解するのが相当である。

二、当座預金について

弁護人は、昭和五〇年末被告人が(1)田中章介に渡した小切手(額面四〇万円、No.二九四〇六)、(2)河野和敏に渡した小切手(額面三〇万円、No.二九四〇二)、(3)加藤俊雄に渡した小切手(額面二〇万円、No.二九四一七)は、いずれも昭和五一年一月に決済されたものであり、期末支払手形を九〇万円増額すべきであると主張する。

収税官吏作成の調査報告書(8、大和銀行堺支店の被告人名義の当座預金口座)によれば、(1)については昭和五一年一月六日、(2)については同月八日、(3)については同月五日、いずれも決済されていることが認められる。

右各小切手については、支払手形として取扱うのは相当と認められないので、当座預金の期末残を九〇万円減額して処理すべきものと解する。

三、普通預金について

堺市信用金庫登美ケ丘支店の石村梅子名義の普通預金(No.〇二六〇〇六)の帰属について、検察官は、石村梅子には資産がなく被告人の病院からの収入以外に他の収入も存しないこと、入金状況を検討すると、石村梅子の給料と自賠責収入の一部が入金されたものと推計するのが相当であること、石村梅子は事業専従者にあたるが、その旨の申告のなされていないこと等を理由として右預金は被告人に帰属し、石村梅子に帰属する理由は存しないと主張する。

これに対し弁護人は、石村梅子は被告人と婚姻する昭和四三年五月二四日まで被告人方において看護婦として稼働しており、これによって得た資産の蓄積が相当存するものと解されること、同女は預金口座を村田ウメ子名義と石村梅子名義とに使い分けており、後者は同女個人のものと解すべきであること、仮に被告人から石村梅子への金の受け渡しを給与ではないとしても、贈与とみるべきであり、昭和五〇年以前に蓄積された同女の資産の果実の混入も十分考えられること等を理由に右預金は、被告人ではなく石村梅子個人に帰属すべきものと主張する。

収税官吏作成の調査報告書(4第三六回公判調書に添付のもの、8)、四、五、六及び収税官吏の被告人に対する各質問てん末書、同人の検察官に対する各供述調書等によれば以下の事実が認められる。

すなわち村田ウメ子(旧姓石村)は、昭和三七年頃から被告人と内縁関係となり、昭和四三年五月二四日被告人と婚姻したが、昭和三七年以前から昭和五〇年一〇月一〇日死亡するまで被告人の病院へ毎日出勤し、保険診療報酬の請求、薬品の管理、会計等の事務に従事しており毎月一定額の給料(昭和五〇年は月約八万円から九万円)及び賞与を受けていたこと、堺市信用金庫登美ケ丘支店の石村梅子名義の普通預金口座(No.〇二六〇〇六)にはほぱ毎月入金がなされ、昭和四九年以降をみるとその入金額の大半は同女名義の定期預金の設定のために出金されており、各期末の預金残高も多くないことがそれぞれ認められる。

右認定事実から考えると右預金口座への入金の大半は同女の給料からなされているものと解される。右預金の全てが同女の給料によるものとまでは解されないが、弁護人指摘のように昭和五〇年に至るまで同女の給料等から蓄えていた資産の運用益によるものとも考えられ、被告人個人の資金が流入したものと断定すべき証拠は何ら存しない。

勿論所得税法五七条の適用を受けない本件においては、同法五六条の定めにより同女に支給した給料及び賞与は、被告人の事業所得の計算上必要経費には算入されず、その反面同女の給与所得の計算上ないものとみなされる。従って、必要経費にあたらない以上、支給金額を被告人に対する事業主貸として計上するのが相当である。

しかし同条の立法趣旨を検討するに、その立法趣旨としては個人事業は家族の共同事業の色彩が強く家族の労務に対して対価を支払う慣行も存しないこと、家計と企業会計との分離がなされていないこと、対価の支払があった場合も相当な額であることの判断が困難なこと、本来事業主の個人所得を家族間で分割することにより相続税、贈与税回避のための手段として利用され易いこと等が考えられる。このような点を考慮して同条は、事業主と生計を一にする親族に対して事業に従事した対価が支払われた場合にもその対価を事業所得の計算上必要経費として算入することを認めない旨を定めたものである。換言すれば、同条は対価の支払そのものを禁じたものではない。(元来財貨の移転そのものを禁止するのは租税法の性質から考えれば極めて例外的な場合に限られるものである。)同条をこのように解すると、対価の支払により右対価は事業に従事した親族に帰属することは明らかである。

勿論、同条は現実に事業に従事した親族に対価が支払われた場合について規定しているものであり、実際には事業に従事していないがその対価の支払を仮装していた場合又は事業に従事したが対価の支払がなされていない場合については適用がないのは当然である。後者の場合には真実対価の支払が存しないのであるから財貨の移転そのものを論じる必要は全く存しない。同条の適用を受ける場合と適用を受けない場合の判断は実際上かなりの困難を伴うものであるが、それであるからといって両者の区別を否定する理由となしえないのは当然である。

以上の点から考えると同条の適用を受ける場合にはその対価の支払によりその対価は親族に帰属することとなるが、その対価の支払が対価として不相当な高額であれば贈与税の対象となることは別として(相続税法九条参照)、対価として相当のものであれば贈与の問題は全く生じない。(前述の如く二重課税回避の観点から受給者の給与所得とならないことは所得税法五六条の明定するところである。)

本件においては他の常勤の事務員、看護婦と比較して村田ウメ子に支給された月額八万ないし九万円の給料及び賞与が同女の給料、賞与として相当なものであることに問題は存しない。従って、村田ウメ子が被告人の病院に勤務した対価として支給された給与、賞与等は、同女が被告人と生計を一にする親族であることを理由にしては同女に帰属することを否定することは許されない。前判示の如く、右預金口座の入金は大半が同女の給料からなされており、被告人個人の資産の流入したものとは解されないのであるから、右預金は同女に帰属するものと解するのが相当である。弁護人の主張とその立論を異にするが結論においては弁護人の主張を採用する。

従って期首の普通預金は検察官主張額から一七万五八四五円を減額した四一九万五二七六円、期末は検察官主張額から七万三六七円減額した七三二万五九四二円と各認定する。

四、定期預金について

堺市信用金庫登美ケ丘支店の村田ウメ子名義の定期積金二口について、検察官は同女の給料の一部が流入したものであって被告人に帰属すべきものと主張するが、弁護人は、同女の個人資金によるものか判然としないうえ、被告人は右預金口座の存在自体知らなかったのであるから被告人個人には帰属しない旨主張する。

収税官吏作成の調査報告書(8)によると各月一万円ずつ二口の積立がなされているものと認められるが、前記普通預金の項で認定したように村田ウメ子は毎月八万ないし九万円の給与を受けていたのであるから、右積立は同女の給与からなされたものと解するのが相当である。従って、右各預金も同女に帰属し、被告人には帰属しないものと解する。

従って、期末は、検察官主張額より一六万円減額した一〇〇万円を認定する。

五、定期預金について

1、石村梅子名義分

堺市信用金庫登美ケ丘支店の石村梅子名義の定期預金一二口(昭和四九年設定のNo.一〇一五九八、一〇二一二七、一〇二五七九、一〇三六一五の四口合計金額四〇〇万円と同五〇年設定のNo.一〇四八四二、一〇五八四二、一〇五八六八、一〇六二一九、一〇六二二〇、一〇六九〇三、一〇六九〇四、一〇三六一五の八口合計金額七五〇万円)について、検察官は、右預金はいずれも石村梅子名義の普通預金から出金して設定されたものであり、被告人に帰属すると主張する。他方弁護人は、昭和四九年八月一日設定のNo.一〇二一二七の金額一五〇万円については、昭和四七年七月に設定された金額一五〇万円の定期預金の継続分であり、その余については、検察官主張のとおり同女名義の普通預金から出金して設定されたものであるが、同女の借入金が転化した可能性もあり、いずれにせよ同女に帰属し、被告人に帰属しない旨主張する。

調査報告書(8)、確認書(125)等によると、昭和四九年八月一日設定のNo.一〇二一二七の金額一五〇万円の定期預金は、昭和四七年七月二七日設定のNo.A47/734の金額一〇〇万円が、普通預金五〇万円を加えて一五〇万円として昭和四八年七月二七日継続され(No.48/929)、これが更に継続されたものと認められ、その余の定期預金については、いずれも同女名義の普通預金から発生した定期預金又はその継続分であることが認められる。

前記の如く石村梅子名義の普通預金は同女に帰属し、同女は昭和五〇年以前も被告人の病院から給与を継続して支給されていたことから考えると、昭和四七年七月二七日設定の前記の定期預金の資金の出所は、本件証拠上明確ではないが、右定期預金が被告人の個人資産から発生したと解すべき積極的証拠は何ら存しないのであるから同女の資金により設定されたものと解するのが相当である。以上の点から考えると、前記各定期預金一二口は、いずれも同女の資産から設定されたものであり、同女に帰属することは明白である。

2、堺市信用金庫登美ケ丘支店の仮名分六口六〇〇万円について

検察官は、同支店の被告人名義の普通預金から五〇〇万円を引出して手持の一〇〇万円を加えて六口に分けて設定したものであり、いずれも被告人に帰属すると主張する。弁護人は、村田ウメ子は当時かなりの資産を有しており、しかも昭和五〇年七月一五日には店主貸とされている郵便貯金五〇〇万円が発生していることから考えると、当時被告人が医療収入から一一〇〇万円もの資金を定期預金に振り向けることは困難であって、右仮名分はいずれも村田ウメ子に帰属し、被告人に帰属しない旨主張する。

証人寺口健夫の当公判廷における供述によると、寺口が村田ウメ子から帯封入りの現金六〇〇万円を受取り仮名にしてくれといわれたので三回に分けて六口分の仮名を設定したことが認められる。又、調査報告書(8)によると、同支店の被告人名義の普通預金から昭和五〇年七月一〇日五〇〇万円が引出されており、更に被告人の検察官に対する供述調書(114)によれば、その頃被告人が仮名を設定した旨供述していることを考えあわせると、被告人が右普通預金から引出した五〇〇万円に手持の一〇〇万円をあわせて仮名分を設定したものと認めるのが相当である。弁護人主張の点は、いずれも推測にすぎず、当時村田ウメ子の資産から六〇〇万円出金されたものと認めるに足りる証拠は存しないのであるから、前記認定を左右するものではない。

従って、仮名分はいずれも被告人に帰属するものと解する。

3、尼崎浪速信用金庫上野芝支店の仮名分四口六五六万二四五円について

検察官は、少くとも期末においては被告人に帰属しており、又仕訳では右金額に対応する分を借方として退職金未払分四〇〇万円、借入金二五〇万円と計上しているので所得計算上は増減をきたさないと主張するが、弁護人は右預金設定当初から村田高秋に帰属すると主張する。

収税官吏の村田高秋(13)、被告人(92)に対する各質問てん末書及び被告人の当公判廷における供述を総合すると以下の事実が認められる。すなわち被告人は村田高秋から二五〇万円を借入れ、高倉台の自宅の建築資金を借入れた際の担保に供していたこと、村田高秋は被告人の病院を退職し、退職金を支払うこととなっていたが未払となっていたこと、被告人は、村田高秋に対し、担保に供した定期預金六五〇万円のうち二五〇万円は村田高秋からの借入金の返済に、四〇〇万円は退職金の支払にあてる予定であると述べていたこと、昭和五一年二、三月頃右定期預金の証書四枚を被告人が村田高秋に渡したことが各々認められる。

右認定事実によれば、右定期預金が村田高秋のものとなったのは昭和五一年二月以降であり、昭和五〇年の期末においては未だ被告人に帰属していたものと解するのが相当である。

4、以上判示の点から明らかなように定期預金については、期首においては検察官主張額より四〇〇万円減額した六一七〇万四五四三円、期末においては七五〇万円減額した八二〇二万八八一九円を各認定する。

六、金銭信託(財産形成貯蓄)について

弁護人は、右金銭信託の存在について、被告人は昭和五〇年当時その認識がなく犯意を欠く旨主張する。

収税官吏の被告人に対する質問てん末書(110)によると、昭和四八年頃加藤幸雄のすすめで加入した旨述べており、その具体的な供述内容と対比するとこの点に関する被告人の当公判廷における供述は容易に措信し難く、前記質問てん末書の信用性は高いと解するのが相当である。従って、被告人に犯意の存したことは明らかである。

七、未収入金について

1、天野文雄に対する貸付金一一〇〇万円の利息について

弁護人は、昭和五〇年一〇月一〇日死亡した村田ウメ子の通夜の際被告人は右天野に対して貸付金及びその利息を免除したものであって、期末残は存しない旨主張する。

証人天野文雄及び被告人の当公判廷における各供述は、大旨右主張にそうものであるが、通夜の席において債務免除の意思表示がなされたと解することは、はなはだ唐突かつ不自然のそしりを免れない。更に差押てん末書(87)、収税官吏の被告人に対する質問てん末書(104)等によると右貸付金については公正証書がまかれており、右公正証書は昭和五一年九月二日、被告人の病院の院長室から差押えられたことが認められる。しかも被告人は捜査段階においては右貸付金、未収入金の存在を認めており、仮に弁護人主張のように免除をしたとすればはなはだ特異な体験であり、捜査段階においてこれを失念して供述をしなかった合理的理由を見出すことは困難である。

以上の点から考えると、証人天野及び被告人の当公判廷における供述は措信し難く、弁護人主張のような免除の意思表示はなかったものと解するのが相当である。(なお、弁護人主張のように仮に免除があったとしても、もともと事業主借として利息分が計上されているので、事業所得の計算上増減をきたさない主張であることを付言しておく。)

2、加藤俊雄分(稗田)六〇万円について

弁護人は、昭和四九年一二月三一日の事業主貸中加藤俊雄分(稗田)六〇万円については、稗田の治療費代六〇万円を加藤が被告人に無断で取立てたものであって、期首において未収入金六〇万円を計上し、当期において横領による雑損控除として処理すべきであると主張する。

収税官吏の被告人に対する質問てん末書(96)によると、被告人は昭和五〇年二月二四日現在で昭和四九年中に加藤兄弟に支出した金額をメモ書として作成したが、そのなかにヒゲタから加藤が治療費を集金して使った六〇万円が計上してあり、被告人も加藤に対する支出金として扱っていたことが認められる。右認定事実によれば、稗田の治療費代を加藤が取立てたのは昭和四九年であり、昭和四九年の事業主貸として処理すべきで、昭和五〇年には関係しないと解するのが相当である。弁護人の右主張は採用しない。

八、仮払金及び支払手形について、

検察官は、期首において、大末建設株式会社に対する仮払金二〇〇〇万円が存し、昭和四九年一二月三一日支払期日の手形(額面五〇〇〇万円)中三〇〇〇万円をジャンプして昭和五〇年一月から七月までの各月末支払期日の手形(額面合計三〇〇〇万円)を提出したものであり、三〇〇〇万円の支払手形を計上すべきものと主張する。これに対し、手形のジャンプは存在せず、大和銀行あるいは大末建設の都合により手形のジャンプが仮装されたものであって、昭和四九年一二月三一日支払期日の手形(額面五〇〇〇万円)は被告人の資金により決済されており、他に仮払金も支払手形も存しないと主張する。

調査報告書(8、173)等によると以下の事実が認められる。すなわち、大和銀行堺支店の被告人名義の当座預金の出入をみると、昭和四九年一二月一九日住友生命から二九一五万一七八一円が入金となり、同月二一日、九四三万六九六八円が堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の当座預金へ出金され、又同日大和銀行堺支店の被告人名義の通知預金へ二〇〇〇万円出金となり、同月三〇日、三〇〇〇万円が入金となり、同月三一日、大末建設取立の手形五〇〇〇万円の決済がなされている。次に堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の当座預金をみると、同月一四日手形貸付により一九七〇万一六四五円が入金となり、同月二一日、前記の大和銀行からの九四三万六九六八円が入金となり、同月三一日大末建設へ二〇〇〇万円出金となっている。又被告人が昭和四九年一二月三一日振出した七通の手形(額面合計三〇〇〇万円)はいずれも大和銀行堺支店で各支払期日に決済されており、大末建設振出の小切手五通(昭和五〇年一月三一日付、同年二月二八日付、同年三月三一日付、同年五月一日付、同月三一日付、各額面四〇〇万円)は被告人に渡され、堺市信用金庫から取立に回され、各々決済されている。被告人は右各小切手については、大末建設宛に預り金返却、返済分、先渡し返済分等と記入した領収証を交付している。以上の事実が認められる。

右認定事実を前提に被告人の弁解を検討するに、被告人の当公判廷における供述の要旨は以下のとおりである。すなわち、昭和四九年一二月三一日支払期日の手形五〇〇〇万円については住友生命からの融資三〇〇〇万円と堺市信用金庫から借入金二〇〇〇万円で決済をすることとし、大末建設は大和銀行との関係上右五〇〇〇万円中三〇〇〇万円については見せかけのジャンプとするため、被告人に三〇〇〇万円交付したが、被告人は大和銀行にわからない形で手持現金一〇〇〇万円と堺市信用金庫からの借入金二〇〇〇万円の合計三〇〇〇万円を大末建設に支払い、ジャンプした形の手形七通はいずれも大和銀行堺支店の被告人名義の当座預金で決済したが、大末建設からは現金合計三〇〇〇万円(四〇〇万円五回、五〇〇万円二回)を受取ったということである。

右被告人の弁解と前記認定の資金の流れとを総合すると、まず昭和四九年一二月三〇日大和銀行堺支店の被告人名義の当座預金への入金三〇〇〇万円は、大末建設から被告人に支払われたものと認められる。従って年末支払の五〇〇〇万円の手形は、住友生命からの融資中の二〇〇〇万円と大末からの三〇〇〇万円により決済されたものと認められる。又同月三〇日大末建設へ支払われた二〇〇〇万円の手形は、堺市信用金庫からの借入金中の一〇〇〇万円と住友生命からの融資中の一〇〇〇万円により支払われたものと認められる。又昭和五〇年に大末建設からの支払はいずれも小切手で合計二〇〇〇万円なされているが、その余の出金のなされた形跡は証拠上認められない。

以上の点から考えると被告人の手形五〇〇〇万円決済の予定とされていた堺市信用金庫からの借入金二〇〇〇万円中約一〇〇〇万円は他で費消されており、結局一〇〇〇万円の不足が生じ、もともと手持現金一〇〇〇万円の余裕が存したのであればこのような借入をおこす必要もなかったわけであって、この点被告人の弁解には不自然さが存するのみならず、手持現金一〇〇〇万円については被告人の供述のほか他にこれを証するに足る客観的証拠は全く存しない。しかも被告人の弁解によれば昭和五〇年中に大末建設からは前記の二〇〇〇万円のほかに六月末、七月末に各五〇〇万円の入金がなければならないわけであるが、これについても被告人の供述のほかこれを窺わせるに足る証拠は何ら存しない。又捜査段階においては、被告人は何らの弁解をしていない。従って、被告人の弁護はかなり不合理といわざるをえない。

これに反し証人寺岸庸光の供述によると、昭和四九年末三〇〇〇万円の手形のジャンプをしたと述べており、三〇〇〇万円の手形のジャンプが存したとすると、前記の被告人、大末建設間の資金の流れとも完全に符合する。又調査報告書(173)中の領収証等の記載文言からすると、大末建設の預り金は三〇〇〇万円ではなく二〇〇〇万円であったと解するのが相当である。

以上の判示から明らかなように被告人の当公判廷における弁解は措信し難く、昭和四九年一二月三〇日堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の当座預金から大末へ支払われた二〇〇〇万円は大末建設への仮払金であり、又三〇〇〇万円の手形のジャンプが事実行なわれものと解するのが相当である。

九、貸付金について

1、加藤幸雄に対する一〇〇万円

弁護人は、昭和四八年九月一日被告人が右加藤に一〇〇万円貸付けたが、同人が昭和五〇年二月に退職し、退職金支払の要求があったので、右貸付金一〇〇万円を退職金と相殺したものであって、昭和五〇年末には存しない旨主張する。

収税官吏の加藤幸雄に対する質問てん末書(11、167)、証人加藤幸雄の供述によると、同人は被告人から相殺の意思表示を受けておらず、昭和五一年五月頃に退職金約四〇万円を受取っていることが認められる。

以上の事実によると、仮に被告人に相殺の意思が存したとしても右加藤にその旨の意思表示がなされていないのであるから民法五〇六条一項により相殺の効力は認められないので、弁護人の右主張は採用しない。

2、天野文雄に対する一一〇〇万円

弁護人は、天野に対する貸付金については債務の免除がなされたので期末には存しない旨主張するが、未収入金の項で述べたように債務の免除は存しなかったと認められるので、弁護人の右主張は採用しない。

3、寺岸庸光に対する三二〇万円

検察官は貸付先が寺岸庸光であったか永田宗次郎であったかは別として三二〇万円の貸付金の存していたことは明白であると主張する。これに対し弁護人は、寺岸の持ち込んだ約束手形二通を被告人が割引き、割引料二三万八九三三円を受領した事実は存するが、被告人と寺岸、永田間において債務を負担しない旨の合意が存したか、不渡時に債務の免除があり、その余の裏書人はいずれも所在不明あるいは支払能力を欠くので二九六万一〇六七円は貸倒となり雑損失として計上すべきと主張する。

水口真弓美振出の約束手形二通、証人寺岸庸光、同永田宗次郎及び被告人の各供述によると、以下の事実が認められる。すなわち被告人は、昭和五〇年頃寺岸の仲介で永田から水口振出の約束手形二通(額面合計三二〇万円)の割引を依頼されて割引を行い、割引料二三万八九三三円を受領したこと、永田から昭和五〇年九月頃五〇万円、昭和五〇年一二月末か昭和五一年一月上旬に二五万円の各返済を受けたが、その余は未済であること、永田は法的な債務を被告人に負担しているが手許不如意で支払のできないことが各々認められる。他面弁護人指摘の被告人と永田らとの関係を考慮しても被告人と永田、寺岸間で法的責任を負わない旨の合意は成立していず、不渡後も昭和五〇年中に債務免除の意思表示がなされたものとは到底解されないので弁護人の右主張は採用しない。

前認定のとおり二五万円の返済時期は明確でないが、昭和五一年になってからであるとの立証はないので、被告人に有利に解し昭和五〇年中に支払われたものとして処理するのが相当である。従って、期末における貸付金残高は返済分七五万円を控除した二四五万円と解する。

4、阪井誠道に対する三〇〇万円

弁護人は、金員の授受については争わないが、阪井が被告人の病院土地の買収に協力してくれた謝礼であって、貸付金ではないと主張する。

被告人は、当公判廷で右主張にそう供述をしているが、収税官吏の阪井誠道に対する質問てん末書(15)によると、阪井自身被告人から昭和四六年に二〇〇万円、昭和四八年に一〇〇万円を借受けたが、未だ返済していないことが認められ、債務者が債務の存在自体を自認していることに鑑み、被告人の弁解は到底措信し難く、三〇〇万円の貸付金が期首、期末いずれも存したものと解する。(なお、弁護人の主張によっても所得計算上増減をきたさないことは言うまでもない。)

5、中谷澄子に対する三〇万円

検察官は、貸主は被告人であると主張するのに対し、弁護人は村田ウメ子であると主張する。

証人中谷澄子の供述、調査報告書(8)、借用証書(一二)によると、堺市信用金庫登美丘支店の石村梅子名義の普通預金から昭和四九年九月五日、三〇万円が出金され、村田ウメ子から中谷に三〇万円手渡したことが認められる。前述の如く、右預金は村田ウメ子に帰属するものと解するので、右貸付金も村田ウメ子に帰属するものというべきであり、弁護人の右主張は採用する。(検察官、弁護人の主張いずれにせよ所得計算上は増減をきたさないことは勿論である。)

6、以上の判示から明らかなように貸付金の期首は検察官主張額より三〇万円減額した一九二〇万円、期末は一〇五万円減額した二一二九万円を各認定する。

一〇、薬品棚卸について

検察官は、期末在庫高は二八五〇万円であると主張するが、弁護人は二〇〇〇万円であると主張する。

弁護人指摘の如く収税官吏の被告人に対する質問てん末書(107)の問六は、収税官吏の昌蒲孝夫に対する質問てん末書(16)と対比すれば、その前提事実に誤りがあり、その信用性は認められない。

しかしながら、被告人の検察官に対する供述調書(116)の一項の2は、昭和五一年三月の事務所で調べた在庫が約二八〇〇万円であったことから、期末在庫は二八〇〇万円少々であった旨供述している。

押収してある51・3・10薬品類たな卸関係書類一綴(二八)、調査報告書(17)、差押てん末書(87)等によると、昭和五一年三月一〇日実施の棚卸高は、二八四五万六五九四円となることが認められ、右事実を前提とする被告人の検察官に対する供述調書の信用性は極めて高いものと解される。従って、期末在庫は二八五〇万円と認定するのが相当である。

一一、事業主貸について

1、村田弘子(旧姓岡本)関係

(一)、検察官は、泉州銀行白鷺支店の被告人名義の普通預金払戻金一五〇万円を公共料金及び生活費として、同支店の村田弘子、岡本ヒロ子名義の普通預金及び白鷺郵便局の村田弘子、村田聡、村田千雅名義の郵便貯金により九四六万三九六一円を生活費ほかとして、各々事業主貸として計上すべきであると主張する。これに対し弁護人は、村田弘子は被告人の病院の事務の手伝をしており、被告人から月約一五万円の給料を支給されていたのであるから事業主貸として計上すべきでないと主張する。

証人村田弘子(第二一、二二回)及び被告人の当公判廷での各供述の要旨は、被告人が夜村田弘子方に来訪した際村田弘子が病院の書類作成をほぼ毎日手伝い、給料を被告人から受取っていたが、正確な額は同女自身知らず、又被告人の病院へ出勤して勤務をしたことはないということである。しかしながら、収税官吏の同女に対する質問てん末書(27)、同女の検察官に対する供述調書(28)と対比すると、同女が被告人の病院のため毎夜の如く書類作成等に従事していたとの前記供述は俄かに措信し難い。

給料支払の点も賃金台帳(四)にはその旨の記載があるが、前掲各証拠により認められる金員授受の時期、方法、額並びに同女が出勤して勤務をした事が認められないこと(収税官吏の被告人に対する質問てん末書(101)参照)に鑑みると、給与支給の実質は認められず、生活費として手渡していたものと解するのが相当である。

同女の検察官に対する供述調書(28)によると、同女が被告人の書類作成の手伝を一部していたことは認められるものの、いわゆる内助の功の域を出ず、被告人との間の雇用契約に基くものとは解されない。

以上の次第であるから、被告人から同女への金員授受はあくまでも給与ではなく、生活費と解すべきであり、事業主貸として計上するのが相当である。弁護人の右主張は採用しない。

(二) 弁護人は、白鷺郵便局の村田千雅名義の普通預金に昭和五〇年一月一三日入金の一万五〇〇〇円及び同局の村田聡名義の普通預金に同日付入金の五〇〇〇円は、いずれも同人らが被告人以外の親せき筋からお年玉として受取った金員を預金したものであって、事業主貸として計上すべきでないと主張する。

証人村田弘子及び被告人の各供述によると弁護人主張の事実が認められるので弁護人の右主張を採用する。

(三) 弁護人は、泉州銀行白鷺支店の岡本ヒロ子名義の普通預金の昭和五〇年一月一四日付入金の八一万八三〇円と白鷺郵便局の村田聡名義の郵便貯金の同日付入金の八一万円は二重計上であると主張する。

調査報告書(8)によると前記の岡本ヒロ子名義の普通預金に昭和五〇年一月一四日他店券で八一万八三〇円が入金となり、同日八一万円が出金され、同日村田聡名義の郵便貯金に八一万円入金され、右各入金がいずれも事業主貸として計上されていることが認められる。右認定事実によれば、弁護人主張のとおり二重計上と解するのが相当であるから、村田聡名義の口座への入金八一万円については事業主貸として計上しないこととする。

(四) 弁護人は、右岡本ヒロ子名義の普通預金の昭和五〇年一月三一日付出金二〇〇万円は事業主貸として計上すべきであると主張する。

証人村田弘子の供述、調査報告書(8)によると右口座から一〇〇万円単位以上の出金は被告人に渡しており、昭和五〇年一月三一日付出金の二〇〇万円も被告人に渡したことが認められ、右認定に反する証拠は存しない。従って、右出金二〇〇万円は弁護人指摘のとおり事業主貸として計上するのが相当である。

2、西峯幸関係

検察官は、被告人が西峯に渡した二七一万円は給与ではなく生活費であるので事業主貸として計上すべきであると主張するが、弁護人は、同女は被告人の病院の看護婦として勤務しており、その給与を受取っていたものであって、生活費として事業主貸に計上すべきではないと主張する。

まず弁護人主張の論拠となる賃金台帳(四)であるが、西峯幸に関する分は原本ではなくコピーしか存しないうえに、右コピーは、同台帳中の渡辺サワ子に関する部分の氏名欄に西峯幸の氏名を記載した紙片をのせたうえで複写したものであることは明らかである。従って、西峯幸に関するものは偽造されたものであり、到底これを論拠とすることは許されない。

次に、同女の当公判廷における供述は、その供述内容、同女と被告人との関係に照らし、又、収税官吏の同女に対する質問てん末書(29、30)、同女の検察官に対する供述調書(31)と対比すると、その信用性に疑問をさしはさまざるをえない。

してみると、同女の検察官に対する供述調書記載のとおり、被告人から渡された生活費と認定するのが相当である。

3、設計料一五〇万円

検察官は、被告人が狭山ニュータウンの土地に建築する自宅の設計料として山本亮に支払ったものであって、事業主貸として計上すべきと主張する。これに対し、弁護人は、被告人は結局自宅を建築しなかったのにこのような大金を支払うことは通常ありえないと検察官の主張に反論し、被告人の病院を建築した大末建設の工事に瑕疵があり、改修工事の折衝の際大末建設の設計係長であった右山本が被告人のために尽力をしてくれたのでその謝礼として支払ったものであり、必要経費にあたり、事業主貸に計上することは許されないと主張する。

そこで検討するに、検察官は主として収税官吏の被告人に対する質問てん末書(96)にその主張の根拠を求めており、弁護人は、右調書の記載は昭和四九年に関するもので、昭和五〇年の一五〇万円支出の論拠とはなしえないと主張する。右調書の内容は、「山本(大末)とあるのは、小松さんから貰った小切手一二六、〇五〇円と現金合わせて二〇六、〇六〇円として渡したことを意味し、山本さんは大末組の人で私の狭山ニュータウンの家の設計をして貰ったその代金の一部でして総額二〇〇万円を少しきれる金額を今までに渡している筈であり」とあり、要するに昭和四九年支払の二〇万円余とあわせて総額二〇〇万円弱を設計料として山本に渡したとの内容であるので、弁護人のこの点についての指摘は理由がない。

しかしながら、被告人の当公判廷における供述によると、右自宅は建築には至らず、昭和四九年の二〇万円余は土地のボーリング代であり、昭和五〇年の一五〇万円は、山本に対する謝礼であり、質問てん末書で真実を述べなかったのは山本が大末建設の社員であるのに同人にリベートを払ったと供述すると同人に迷惑がかかることを慮ったためであること、山本に設計は頼んだが簡単な平面図を書いてもらったにすぎないことが各々認められる。右認定事実からすると、質問てん末書の設計料支払の点は他に何らの裏付け証拠の存しないことをも併せ考慮するとその信用性に疑いをさしはさまざるをえず、自宅設計料としての支出であることの証明は尽くされていないことに帰属するので、事業主貸としては計上しない。

4、ビデオテープ代三三万四四八〇円

検察官は、昭和五〇年当時被告人の執務上参考となるテレビ放映は存せず、その録画もなされていないことから被告人の個人的用途のためであり、事業主貸として計上すべきと主張するが、弁護人は、業務用であって事業主貸として計上すべきでないと主張する。

被告人の当公判廷における供述によっても昭和五〇年中に執務上参考となるテレビ放映を被告人が録画した事実は認められない。又、一般大衆向けのテレビ放映は医師の執務上必要なものとは考えられない。従って、ビデオテープは、被告人の個人的用途のために購入したものと解するのが相当であり、事業主貸として計上すべきである。弁護人の右主張は採用し難い。

5、浮世絵全集六三万円

弁護人は、病院の装飾用として購入したものであり、必要経費にあたるから事業主貸として計上すべきではないと主張する。

被告人の当公判廷における供述によると、昭和五八年当時院長室等に右浮世絵の一部が飾ってあること、昭和五〇年中に右浮世絵を六三万円で購入したことが認められる。

検察官主張のように浮世絵が病院装飾用になじまないとまでは解さないが、その購入の目的について検討するに、被告人は病院の装飾用であると述べたり、贈答用であると述べたり、その供述が変遷していること、証人丸尾眞一の供述によると強制調査着手当時には病院中に右浮世絵は飾ってなかったことが認められることから考えると、病院装飾用として購入したとの被告人の供述は俄かに措信できず、個人用として購入したものと解するのが相当であり、弁護人の右主張は採用しない。

6、賃貸分減価償却費一二万二〇八二円

弁護人は、検察官が事業主貸とする理由が理解できないと主張する。

右賃貸分は、被告人が大阪臨床に賃貸した建物に関するものであるが、その賃貸料収入は、不動産所得の収入金として計上されている。このため、事業所得の計算上受取賃料二四万円を事業主借として計上した関係で右建物の減価償却費一二万二〇八二円を事業主貸として計上し、右差額の一一万七九一八円を不動産所得としたものであり、右処理は合理的で相当であることはいうまでもない。

7、加藤俊雄関係一二五〇円

検察官は、被告人が加藤俊雄に支払った一二五〇万円については、そのほかにも月々一五万円という税理士顧問料以上の金額を加藤に交付していることからみても到底税務対策費とは解しえず、被告人が脱税していることを知っている加藤にたかられたために出捐したものであるから事業主貸として計上すべきと主張する。

これに対し、弁護人は、被告人の右出捐は、被告人の病院の法人化に向けて病院の対外的信用を維持するため加藤に支払った報酬金あるいは同人の使用する交際費等であったので当然必要経費として認められるべきで、事業主貸にはあたらないと主張する。仮に右出捐に必要経費性が認められなくても、加藤による詐欺又は恐喝にあったものであるから特別損失として計上すべきであると主張する。

まず昭和五〇年に被告人が加藤に支払った金額は、給与分は別として一二五〇万円であることは、当事者間に争いがなく、本件証拠上優にこれを認めることができる。(なお、このほかの稗田に関する六〇万円については前記七の2の未収入金の項で説明したように昭和四九年の事業主貸であって、当期には関係しない。)

次に、右出費の理由、目的が問題となるが、これについては当事者である加藤及び被告人の言い分は大きく食違っている。

加藤の言い分は要するに被告人から自己の経営する税経新聞社に対して資金援助をして貰ったものであり、被告人の病院の会計あるいは税務に積極的に関与したことはないということである。しかし他面では同人も税務面で被告人の所得税確定申告書等の作成、税務署との折衝に関与したことも認めており、被告人から毎年莫大な金額を税経新聞社への資金援助として貰ったとの同人の供述は、その金額自体から考えても到底措信できるものではない。

そこで被告人あるいは病院関係者の供述を基としてその支払理由を検討すべきこととなる。なるほど被告人は弁護人主張のように当初は加藤を税務の専門家として信用し、その言いなりに金員を同人に支出していたことは認められるが、他方では支払金額が高額となってきたので加藤に対する支払を抑制するため、金員交付の際もできる限り現金ではなく小切手で支払い、加藤の金員引出しの口実をその小切手帳の半片にメモ書して証拠を残すように努めたこと、加藤の口実に対しても疑いをもちはじめ、真実の使途は右口実とは違うように考えてきたことが各々認められ、このことは左小切手帳の半片の記載を一度加藤の指示により抹消したものの被告人の記憶により再現した復元一覧表(収税官吏の被告人に対する質問てん末書(96)に添付)中の昭和四八年六月一八日の項に「中元用と云って来たので渡す(虚だと思うが)」旨の記載があることからも裏付けられるところである。又被告人は、加藤に自己が金のないように装って、自己の使用している当座預金の残を常に赤字として金のないように操作していたとも述べている。

以上の点から考えると、なるほど当初は加藤が被告人の税務に尽力してくれた謝礼等として支出してきたものであるが、その支出額が多額となった遅くとも昭和四八年六月頃には既にその謝礼の域を越え、単なる口実であることを被告人自身知悉していたものと認められ、弁護人指摘のように、被告人がこのことを認識するに至ったのは昭和五〇年に入ってからであると解することはできない。

しかも右一覧表によると昭和五〇年に限っても加藤の口実は堺税務署長転任の餞別三〇万円、税経新聞社移転費用分担金二〇〇万円、同署長新任の挨拶六〇万円等ということであって、右口実通りに公務員たる署長にこのような高額が使用されたと認めるに足る証拠は何ら存しないのみならず、移転費用に至っては到底税務対策費として必要経費に認められるべき筋合のものでないことはいうまでもない。

必要経費となるためには当然の事ながら、事業活動と直接の関連をもち、事業の遂行上必要な支出でなければならない。これを本件についてみるに、税務申告に際して加藤に支払った謝礼等はこれにあたるとしても、その余の弁護人主張のような支出は、税務対策費として必要経費にあたらないことはいうまでもない。加藤は月々被告人から給与を受けており、賃金台帳(四)によると昭和五〇年は一六七万六〇〇〇円という高額であり、同人の被告人の病院における勤務状況をも考えると、右給与分に税務申告に際しての事務の対価も含まれているものと解すべきである。してみると、右給与外に被告人が加藤に支払った一二五〇万円は必要経費として認められる範囲外のものばかりであって、事業主貸として計上することが理にかなっている。

次に弁護人は、詐欺又は恐喝による特別損失を主張するが、前記の如く被告人は加藤の口実が虚偽であることを見破っているのであるから詐欺にあたらないことはいうまでもない。

恐喝の点については、被告人の弁解を突きつめると、加藤の言うとおりに金員を支払わなければ診療妨害されると思ったのでやむなく支払ったこと、昭和五〇年は後一年辛抱すれば被告人の病院も法人化でき、その際加藤との関係を切れると思ったので支払っていたこと、警察に申告しても無駄だと思っていたということになる。しかし他面では被告人は、昭和四九年の確定申告に関し加藤と一旦手が切れ、加藤の兄である加藤幸雄も昭和五〇年二月には被告人の病院から退職し、昭和四九年度の所得税確定申告は、申告の間際に加藤から今年は知らないと言われて、加藤らを除いた被告人及び病院関係者によりなしたこと、申告後の昭和五〇年三月末か四月に加藤が詫をいれてきたので再び同人が被告人の病院へ出入りするようになった旨を供述している。してみると、少くとも昭和五〇年に関しては被告人と加藤との関係は一旦切れており、被告人の意思により再び付合いをはじめて金員を支出しているのであるから、真実加藤に診療妨害等をすると脅迫されてやむなく金員を交付していた者のとる行動としては極めて奇妙、不可解な行動といわざるをえない。殊に被告人は加藤に対し何も弱味をにぎられていなかったと明言しているのであるから、相手方の脅迫の結果金員を交付したとの被告人の弁解はた易く措信できない。

更に被告人の病院には多数の従業員がおり実力で加藤を追い出すことは容易であったと認められること、加藤の執拗な付きまといがあれば警察に連絡するのが一般的と考えられ、その支出した金額が多額であることからも考えると、被告人の述べる警察に連絡しなかった理由は合理性に乏しいこと等をもあわせ考慮すると、恐喝にあったものと解することは到底できない。

結局、前掲各証拠を総合すれば加藤が被告人の税務処理の仕方を以前から知っていたことからそれを種に被告人に無心し被告人がこれに応じたものと解するのが相当である。従って、これが必要経費にあたらないことは勿論のこと、雑損控除にもあたらないことは明らかなところであり、事業主貸として計上するのが相当である。

8、以上判示の点を整理すると、事業主貸としては検察官主張額から四三三万円減額した五三六六万二七六七円と認定するのが相当である。

一二、建物の減価償却費について

弁護人は、被告人が従業員用に購入した白鷺ビューハイツ四〇三号室、七〇四号室について、租税特別措置法一四条一項に規定する割増償却の適用がある旨主張する。

なるほど昭和五一年法律五号附則三条七項により同法による改正前の租税特別措置法一四条一項によると、弁護人指摘のように昭和五〇年当時においては使用人の居住の用に供する貸家住宅も同項の対象住宅となっていたが、同条四項に明定するように同条一項の割増償却の適用を受けるには同条四項に定める要件を充足する必要がある。所得税確定申告書騰本(3)によれば、本件において同項の要件を充していないことは明らかであるので、弁護人の右主張は採用しない。

なお、検察官は登記の完了した昭和五〇年四月から減価償却費を計算しているが、本件証拠によれば前記ビューハイツ四〇三号室については、昭和五〇年二月二七日に、七〇四号室については、同年一月三一日に、それぞれ代金の支払が完了し、同年二月からそれぞれ使用していたものと認められるので、昭和五〇年二月から減価償却費を計算するのが相当である。減価償却費の計算は別紙(三)のとおりであり、検察官主張額に五万九二八八円加えた三九八万八二五九円を認定する。従って期末の建物は、検察官主張額から五万九二八八円差引いた二億三四四〇万六三円となる。

一三、器具備品について

1、暖房機について

検察官は、被告人の購入した白鷺ビューハイツ備付けのクリーンヒーティング等(暖房機)の減価償却費を五万五五七六円と主張するのに対し、弁護人は六万二一七五円と主張する。

照会回答書(53)、調査報告書(4)、賃金台帳(四)、出勤簿(三三)、被告人の当公判廷における供述によると以下の事実が認められる。すなかち、被告人は白鷺ガスの店から暖房機を購入し白鷺ビューハイツに備付けたが、右暖房機は昭和五〇年二月二五日納品され、同年四月二六日代金の支払を了したこと、右暖房機が備付けられた部屋は、国吉医師が同年二月から使用をはじめたこと、購入代金は、四四-三〇二クリーンヒーティング二〇万七〇〇〇円、R2LOSF型室外ユニット一一万四〇〇〇円、付帯工事費四万二〇〇〇円、四三-一四四クリーンヒーティング一三万三〇〇〇円の合計四九万六〇〇〇円であることが認められる。

従って昭和五〇年の減価償却費は、次のとおり六万七九二七円となる。

〈省略〉

2、東芝医療用X線テレビ装置

弁護人は、右装置の取得価額は二一一三万五〇〇〇円であるから減価償却費は三一五万七五六九円であると主張する。

調査報告書(36、4)、照会回答書(50)、収税官吏の被告人に対する質問てん末書(98)によるとその取得価額は、東芝X線テレビ装置AA型一四五〇万円、搬入時の現場費用一八万円、モニターエースPMS-04K型三八〇万円、患者監視装置PMU-O-F-2特形一七〇万円、移動式X線装置KCD-10M-6AT型一一三万五〇〇〇円の合計二一三一万五〇〇〇円であると認められる。従って、検察官主張のとおり、三二七万二六七円を減価償却費として認定する。

3、以上を整理すると、期末における器具備品としては、検察官主張額から減価償却費相当額一万二三五一円を減額した五三九七万九八一〇円を認定する。

一四、前払費用について

検察官は、被告人が刑事事件の着手金として井下治幸弁護士に支払った五〇万円を前払費用として計上すべきと主張するが、弁護人は、必要経費として認められるべきものであり、前払費用として計上すべきではないと主張する。

調査報告書(4)、被告人の当公判廷における供述等によると、昭和五〇年一一月被告人の病院は医事法違反の疑いで捜索を受け、右事件の弁護人として井下治幸弁護士を依頼し、着手金五〇万円を昭和五〇年一一月二六日同人に支払ったが、右事件は医療法、薬剤師法、麻薬取締法違反被疑事件となり結局不起訴処分となったことが認められる。

このような刑事事件の着手金を必要経費として認めるかどうかは、所得税法三七条一項の解釈如何にかかっている。ところで同法は、四五条一項六号において罰金及び科料は必要経費に算入しない旨を明定している。その趣旨とするところは、業務の執行に関し犯罪を犯した場合に課された罰科金を事業遂行の必要経費として算入を認めると、法が刑罰という最も峻厳な制裁で禁圧している犯罪を一面では助長ないし容認することとなり法規範の統一性の見地からみて許されないこと及び必要経費として認めると実質的に考察すれば国が犯罪者に代わって罰科金を負担することと同様になることにあると解される。従って、刑事事件の処理に要した費用は、有罪とされた場合には刑事責任の軽減のために費されたものであり、前記法の趣旨に照らしこれを必要経費として算入することは許されない。他方、刑事事件が不起訴あるいは無罪判決の確定等により犯罪と認められなかった場合にはそのために要した費用は刑事責任の軽減のために費されたものでないから、刑事事件の処理に要した費用であることを理由としては必要経費性を否定することはできないこととなり、一般的な業務遂行のための必要経費にあたるかどうかを検討すれば足りる。そうすると刑事事件の処理に要した費用については、その事件の決着がつくまでは必要経費性の判断はできないこととなる。

このことと、単年度主義をとる所得税法との調和を図る必要があるが、刑事事件につき不起訴処分又は無罪判決の確定した日の属する年にのみ必要経費として算入すると限定的に解すべき合理的理由は全く存しない。刑事事件の処理に要した費用を支出した日の属する年分か、不起訴処分又は無罪判決の確定した日の属する年分のいずれかに必要経費として算入すれば足りるものと解すべきである。所得税基本通達三七-二六(注も含む)も同趣旨と解される。

以上判示の点から本件を検討するに、井下弁護士に支払った五〇万円を昭和五〇年の必要経費として算入するのは相当であり、前払費用として計上すべきものではない。

一五、未払金について

弁護人は、被告人が従業員に支給した給与のうち源泉徴収洩れ分については、いずれも手取額として支給したものであり、これに対する源泉徴収税額の徴収は事実上不可能であり、被告人が負担すべく、支給した手取額に対応する徴収税額を加えた金額を総支給金額として税額を計算した五六六万九二〇五円を未払金として計上すべきであると主張する。

弁護人主張の計算額自体の当否はさておき、先ず、源泉徴収の負担者について検討するに、所得税法一八三条により被告人は源泉徴収義務を負っているにとどまり本来給与所得をえた者(従業員)が負担すべきである。しかも収税官吏の被告人に対する質問てん末書(105)によると、昭和五二年一月二六日当時被告人が源泉徴収税額を従業員から徴収する意思を有していたことが認められ、弁護人主張のように源泉徴収洩れ分の給与を手取給と解するのは相当でない。従って、被告人が源泉徴収すべき税額を強制徴収されたのであればその時点において同法二二二条により徴収されるべき者に対して支払請求等をすれば足りるのであって、弁護人主張のように昭和五〇年において未払金として計上すべき筋合のものではない。

一六、預り金について

源泉所得税の預り金について検察官は、三〇〇万九八四〇円を主張しているが、弁護人はこれを争っている。

調査報告書(8、21)によると、昭和五〇年七月分賞与に対する源泉所得税一二二万五七円は、昭和五一年二月九日に、昭和五〇年一二月分賞与に対する同税一四一万八三一八円及び同月分給与に対する同税三七万一四六五円は、昭和五一年一月二九日に、それぞれ納付されたことが認められる。従って、期末の源泉所得税の預り金としては三〇〇万九八四〇円を計上するのが相当である。

なお、弁護人は課税洩れ分についても預り金として計上すべきものと主張するが、前記一五の未払金の項で述べたように被告人の負担すべきものではないので、預り金としては計上しない。

一七、事業主借について

検察官は、事業主借として一五〇〇万九一九六円を主張するのに対し、弁護人は、一三五七万一七円を主張する。その差額の内訳は、天野に対する貸付金利息一二〇万四五〇〇円、石村梅子名義の預金利息合計二三万四五二二円である。

前記九貸付金の項で述べたように天野に対する貸付金は存在するが、三、普通預金、五、定期預金の項で述べたように石村梅子名義の預金は被告人ではなく同女に帰属するものである。

調査報告書(4、8)によれば利息金額としては天野分一二〇万四五〇〇円、石村分二三万四五二二円と認められる。

従って、検察官主張額から石村分二三万四五二二円を差引いた一四七七万四六七四円を事業主借として計上するのが相当である。

一八、元入金について

前述の如く期首の預金のうち石村梅子名義の普通預金一七万五八四五円、定期預金四〇〇万円、貸付金三〇万円はいずれも被告人に帰属しないので、元入金は検察官主張額より四四七万五八四五円減額した一億二一七六万二五一四円となる。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、行為時においては、昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては、改正後の所得税法二三八条一項に、各該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、所定の懲役と罰金を併科し、情状により所得税法二三八条二項を適用し、その所定の刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年及び罰金二一〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、情状により同法二五条一項によりこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人の負担とすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 金山薫)

別紙(一) 貸借対照表

村田政勇

昭和50年12月31日現在

〈省略〉

〈省略〉

別紙(二) 税額計算書

村田政勇

〈省略〉

別紙(三)

建物減価償却費

〈省略〉

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